「你吃过最好吃的东西是什么?」という質問に中国語で答えます。
「おいしかった食べ物はいろいろあるけれど、東京から千葉に引っ越した年の秋に、サンマの塩焼きを食べて、この世にこんなに美味しいものがあったのかとびっくりした思い出があります。海育ちの母は、東京には美味しい魚が無いと言い、東京にいるときには魚はあまり食べていませんでした。」
と書きたいです。
以下の中国語を添削してください。
間違っている箇所がある場合、正しい文章に書き換えたあと、どこがどう間違っているのか、どのように直せば良いかを日本語で説明してください。
好吃的东西是很多,但是我吃过最好吃的东西是盐烤秋刀鱼。 当我小的时候,我们家从东京搬到了千叶。当时秋刀鱼非常好吃、我惊讶世界上竟然存在如此好吃的东西。
我妈妈在海边的一个小镇长大,她说东京没有好鱼,所以我们住在东京的时候她没怎么吃鱼。
以下は添削後の自然で正確な中国語表現と、その理由の説明です。
✅ 添削後の文章:
好吃的东西有很多,但是我记得我吃过最好吃的一次是搬家到千叶的那年秋天吃的盐烤秋刀鱼。
当时我非常惊讶,觉得世界上竟然有这么好吃的东西。
我妈妈是在海边的一个小镇长大的,她总说东京没有好鱼,所以我们住在东京的时候,她不太吃鱼。
✏ 添削ポイントと解説:
① 「好吃的东西是很多」→「好吃的东西有很多」
- 「是很多」は中国語では不自然。「很多(many)」の主語として動詞は「是」ではなく「有(ある)」が適切です。
- ✅ 正しい構文:「有很多〜」=「〜がたくさんある」
② 「我吃过最好吃的东西是盐烤秋刀鱼」→「我记得我吃过最好吃的一次是…」
- 原文では「吃过最好吃的东西是…」としてますが、「东西(もの)」を強調するより、「記憶に残っている一番美味しかった体験」とした方が自然。
- 「记得」「吃过最好吃的一次是…」という構文で、「一番美味しかった記憶」を自然に伝えられます。
③ 「当我小的时候」→ 省略 or 文脈変更
- 「当我小的时候」は「小さいころ」と訳されますが、ここでは「引っ越した年の秋」という具体的な時期が重要なので、「小さい頃」はむしろ省略か別にすべきです。
④ 「秋刀鱼非常好吃、我惊讶…」→「我非常惊讶,觉得…」
- 主語の連続に注意。中文では接続詞「、」の代わりに文を切るか、「我觉得〜」のように接続語を使う方が自然。
- 「我非常惊讶,觉得〜」=「びっくりして、〜と思った」
⑤ 「世界上竟然存在如此好吃的东西」→「世界上竟然有这么好吃的东西」
- 「存在」も文法的には正しいが、話し言葉では「有(ある)」の方が自然。
- 「如此」は少しかたい表現。会話では「这么(こんなに)」が自然。
⑥ 「妈妈在海边的一个小镇长大,,」→「我妈妈是在海边的一个小镇长大的」
- 主語「我妈妈」と「是在〜长大的」を対応させた方が自然。
- 誤って句読点が二重になっている点も修正。
⑦ 「她没怎么吃鱼」→「她不太吃鱼」
- 「没怎么吃鱼」は意味は通じるが、少し口語的でぼんやりした印象。
- 「不太吃鱼」=「あまり食べない」という確かな意味になるので文脈に合っています。
添削後の文章をHSK4級程度の語彙と文法を使って書き替えてください。
もちろんです。以下は、先ほどの添削後の自然な中国語を、HSK4級程度の語彙と文法を使ってわかりやすく書き直したバージョンです。
✅ HSK4級程度の中国語バージョン:
我吃过很多好吃的东西,但是最让我难忘的是我搬到千叶的那年秋天吃的盐烤秋刀鱼。
那时候我觉得很吃惊,没想到世界上有这么好吃的东西。
我妈妈是在海边长大的,她说东京的鱼不好吃,所以我们住在东京的时候,她很少吃鱼。
💡ポイント解説:
1. 「让我难忘」
- 「记得…最好吃的一次是〜」は抽象的なので、「最让我难忘的是〜」のように「〜が一番印象的だった」と具体的にしました。
2. 「我觉得很吃惊」
- 「我非常惊讶」もOKですが、「觉得很吃惊」はHSK4でよく使われる形。
3. 「没想到」
- 「竟然」はHSK5級ですが、「没想到」はHSK4に含まれ、驚きを表す良い表現です。
4. 「她很少吃鱼」
- 「不太吃鱼」よりも「很少吃鱼」の方が語彙的にHSK4に収まり、頻度の少なさが伝わります。
今気づきましたが、この文章だと、東京に住んでいたころに魚を食べていなかったのは母親だけということになりませんか?
母が東京の魚はまずいと言って買わなかったので、私たちは東京にいるときには魚を食べなかった、という説明を行いたいのですが。
はい、ご指摘の通りです。
元の文章だと、魚を食べていなかったのは母親だけという印象を与えやすい構造になっています。
原文の問題点:
我妈妈是在海边长大的,她说东京的鱼不好吃,所以我们住在东京的时候,她很少吃鱼。
この文は、「**她(母)」が主語で、「很少吃鱼(あまり魚を食べなかった)」という行動が母親だけにかかっています。
ご希望の意味に直すには:
「母が東京の魚はおいしくないと言ったので、私たち家族全員が東京にいるときは魚を食べなかった」というように、「魚を食べなかった」の主語を「私たち(我们)」にすると自然です。
修正案:
バージョン1(シンプルに直す):
我妈妈是在海边长大的,她说东京的鱼不好吃,所以我们住在东京的时候很少吃鱼。
※主語が「我们」に変わるので、「鱼を食べなかった」のが家族全体になります。
バージョン2(理由を強調して少し丁寧に):
我妈妈是在海边长大的,她说东京的鱼不好吃,所以她几乎不买鱼,我们住在东京的时候也就很少吃鱼了。
→ 母親が買わない → 家族が食べなくなる、という因果関係がはっきりします。
バージョン3(もっと自然に口語風で):
我妈妈是在海边长大的,她觉得东京的鱼不好吃,所以我们住在东京的时候,家里几乎不吃鱼。
ご希望のニュアンスによって、どの表現でも使えます。口語的に自然なのはバージョン3、文章として少し丁寧なのはバージョン2です。
我吃过很多好吃的东西,但是最让我难忘的是我搬到千叶的那年秋天吃的盐烤秋刀鱼。
那时候我觉得很吃惊,没想到世界上有这么好吃的东西。
我妈妈是在海边长大的,她说东京的鱼不好吃,所以我们住在东京的时候,她很少吃鱼。
我 吃过 很多 好吃 的 东西,但是 最 让 我 难忘 的 是 我 搬到 千叶 的 那年 秋天 吃 的 盐烤秋刀鱼。
那 时候 我 觉得 很 吃惊,没想到 世界上 有 这么 好吃 的 东西。
我 妈妈 是 在 海边 长大 的,她 说 东京 的 鱼 不好吃,所以 我们 住 在 东京 的 时候很少 吃 鱼。